• ジャズうまくなりたい

    東郷清丸匚ツアーの告知がリリースされたので、わたしもスケジュールを更新。旅だ! 旅に向かうための調整がまだいろいろと必要だし、既存曲もおさらいして、練習しておきたい。匚の春。声の春。


    夜、高田馬場で友人たちと飲む。酒に強くないわたしはワイン4杯も飲めたら上出来。

    わたしにとって高田馬場という場所は縁がないようであるところで、道を歩けば蘇る記憶はそれなりにある。とりわけ思い出すのはgateoneの梶原まり子さんにジャズボーカルを習っていたころのこと。橋本信二さんとの思い出。泣きながらサンマルクでレッスンの録音を聴いたあの時間。思い返すと涙が滲む。思えば遠くきたもんだ。あの頃のわたしはとても一生懸命だった。

    ジャズうまくなりたい。ジャズうまいってなに? という話ではありますが。多分「到達したなあ」という感覚は死ぬまで得ることはないんだろうと思う。そういうところもいいよね、ジャズ。音楽全般そうか。すみません。お世話になります。

    かなり酔っ払って帰った割に、ちゃんと湯船に浸かってしっかり髪の毛を乾かし、あったかいお布団で今これを打っている。すばらしすぎる。これもTwitter(X)のアプリを消したおかげかも。

  • より良い仕組み

    靴下が片方縮んだ。同居人がかけてくれた乾燥機の中に紛れ込んでしまっていたのだ。もちろん憂鬱だったが、わざとやっていないことを責めても仕方がない。これは同じことを自分がする可能性もあるので、そうならない仕組みをつくるべき。人間の精度をあまり信じなければ、不慮の悲しみをなるべく少なくすることができる。

    ああでも縮んだな靴下。事実として。こういうときに限ってちょっとだけ高いやつなんだよな。考えながらコーヒー豆を3杯、グラインダーに入れてスイッチを押す。大体10秒で挽き終わるから、挽けたらコーヒーメーカーにセットしてボタンを押す。

    悲しいときや気持ちがふさいだとき、なんだかやる気が起きないとき、無理やり別のことをするとかなりいい気がしていて、最近はコーヒーを淹れることがそれにあたる。この「こと」には複数の動作を含んでいるほうが好ましい。慌ただしい朝、飲む時間は全然ないのでタンブラーに入れて持ち出す。外に出ると、晴天。昨日吹いていた強風も止んだ。いい日の予感。

    歩きながら考えたんだけど、靴下とか乾燥機にかけないものは別のカゴに入れたらいい気がするよね? というかもしかしてみんなとっくにそうしてるのかもしれない。うちもそうしよ。ちょうどいいカゴ探そ。

  • 60

    母の還暦を祝うため帰省していた。喜んでくれただろうか? 喜んでくれたと思う。

    これで両親共に還暦を過ぎた。わたし(たち)は彼らのずいぶん若い頃に生まれた子どもで、たったの20歳ほどしか歳が離れていない。そんなはずはないのだが、年々親と歳が近づいている気がする。

    20歳から子どもがいる人生をわたしはもう今世では体験しようがない。わたしがそうさせてもらっているように、彼らにもどうか自分の人生を、極力健やかに穏やかに生きて欲しい。

  • あれがそれではないのなら

    水面下で春のいろいろが動いている!いろいろ動くことがあるのはありがたいこと。早くお知らせしたい。


    昨日は、かつてわたしがうつになってしまいものすごく迷惑をかけた会社の元同僚と数年ぶりの再会を果たした。楽しくて嬉しくて、ワインも美味しくて、ご機嫌にほろ酔いの帰り道。思い出さないようにしていた記憶の蓋が開きかけているのを感じて、慌てて無理やり閉じようとしたが、もう手遅れだった。

    あのときのつらさの理由については「あれがそれだ」というのがある。あるんだけど、どうも「あれがそれだ」というのは、わたしが後付けで勝手に思い込んでいる、可能性がある、のかもしれなかった。あのときの記憶ってかなり曖昧でいろいろと定かではない。ただ、ここ、追求するとまた病みそう。どうしてもやりたいなら別として、向いてないことは向いてないで終わらせておいたっていいはず。(すみません)

  • この時期

    なんとなく12月、1月が冬だと思って生きているけれど、本当の冬は2月に来る。去年もそうだったし、今年は今週がそれ。2月は早々に花粉も飛ぶし、営業日は少ないし、突然本当の冬が来てところにより大雪も降る。

    雪が降るほどではなくても東京の端っこは気分が落ち込むぐらいには寒い。負けないぞという気持ちで去年新調したダウンに身を包み、なるべく颯爽と歩き、駅に着いて、電車が遅れているらしいことを知った。出鼻を挫かれる。

    そういうわけで、いまはホームでこのテキストを書いている。向かいのホーム、切り揃えられた枯れ枝だけの植木の中に、すずめが何羽か遊んでいるのが見える。わたしはその枝が実際は枯れていないこと、もう間もなく芽吹いて、雨の時期になれば赤紫の花をたわわに咲かせることを知っている。


    話題が少し変わるんですが、思い立って今週の頭にX(Twitter)のアプリを消した。わたしのように長年このSNSに依存していて、なんだかなあと思っている人がいたらまずはここから始めるのが良さそう。

    消した理由はいくつかある。一番大きいのは、言葉を残しておくのにあまりにも(少なくともわたしにとっては)素敵な場所じゃなさすぎるということ。(わざわざインターネットに言葉を残す意味ってあるの/あるならそれはなんなの、という話は一旦置いておいて)どうせなら別の場所で残していきたい。こことか。

    去年もこの時期に似たような感情になって、SNSから身を置いてこのサイトを整理したんだった。そもそも毎年この時期がわたしにとってはそういうタイミングなのかもしれない。

    2月。

  • 些細

    数日前。足の裏にちくちくとした痛みがあり、見てみると短い髪の毛が足の裏の皮膚に完全に入り込んでいた。皮膚に髪の毛が入ってしまうことは過去にも何度か経験はあるが、毎回新鮮に驚く。

    地面を踏むたびに地味に痛くて集中力を奪われるのが嫌だった。どんな厄介な毛だろう。 手こずりながらピンセットで引きずり出したら、それは拍子抜けするほど短く、頼りなく、柔らかく、短い髪の毛だった。

    わたしが体をこわばらせたり勝手に傷ついたりしているもの正体はだいたいこういう驚くほど些細なものだということが多い。

    このところ、自分がやらなくてもいいことを自分ひとりがやっていて、それをまあそういうものかと割り切れるときとそうでないときがあるんだけれど、いまは後者だ。それどころか自分ひとりが「やらされている」という感覚があり、これが気持ちをじわじわと蝕んでいる。ほんの2、3センチぐらいの細い毛を弄びながら思った。多分この感情の根っこにも、情けないほど些細な理由が隠れている。

    摘出した髪の毛を同居人に見せようとしたが、全く興味がなさそうだったのでゴミ箱に捨てた。ピンセットで傷つけて血が滲んだ足の裏はしばらく痛んだけれど、どんな痛みだったかいまはもう思い出せない。

  • 撤回したい

    数日前の強風、きみはやっぱり春一番だった。夜になったらしめってぬるくてほとんど春。寒いけどこれは絶対冬ではない。疑って悪かったね。

    季節の変わり目の金曜日の渋谷。どういうわけか誰かに会いたいような気分だった。今日は同居人も不在。もしかしたら今わたしは少し寂しいのかもしれない。一緒にお酒でもいかがですと誘いたい顔がいくつも浮かんでは消え、結局そのまま帰路についている。

    電車に乗ってイヤホンをつけて、流し聞きしているスペイン語学習者向けのPodcastがほとんど何を言ってるかわからない分野まで進んでしまっていたことに気づき、大変不本意ながらいくつか前に遡った。あれやこれやに追われているうちにあまりにも猛スピードで時が流れている。

    取り返す必要がある。

  • 拠り所になっている

    家を出て数歩でヘアオイルは乾き、メイクも吹き飛んでいく。二日続けて風が強い。猛烈に強い。春一番春一番春一番と言い聞かせて初日はなんとかやり過ごせたが、二日続くと話は変わってくる。仕事場を出ると朝吹いた風が夜も吹いていて、おまけに冷たい。おまえさては春一番じゃないね?

    春ねえ。春のことは好きでも嫌いでもない。ただ楽しい思い出よりは悲しい思い出のほうが多い気がするような……、でももしかしたらそう思いたいだけかもしれない。今も昔も、春に悲しい思い出がある側でいたがるようなタイプだから。

    じわじわと広がりそうだったしっとりとした気持ちはとんでもない強風が全部かっさらっていった。さむさむさむさむ。春一番だろうとそうでなかろうと構わないから、明日はそこそこ無風だといい。

    今のところこの小さいブログは想定した以上にわたしのこころの拠り所になってくれている。何を書いても書かなくても、ここが「ある」ということが今とてもありがたいと思う。

  • 言葉を残す場所として

    何もかもしっくりはこない。SNSをずっと眺め続けることができなくなってもう何年も経つ気がする。

    眠れない夜、長年活用していなかったこのドメインのことを急に思い出して、久々にサーバを借りてWordpressを置いた。自分の活動をアーカイブする場所が欲しくなってきたことが一番の理由だが、気軽に文章を残すことができる場所が欲しかったというのもある。ここにはお気に入りの機能も、収益化の構造も、コメント欄もない。広告主もいない。誰が見ているのかわからない中にただ文章を放流する場所、その行為そのものが自分に必要な気がして、ここを設けた。

    熱心に更新する気はあまりなく、シェルターのように使えればと思っている。